大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)803号 判決 1990年2月07日
原告
佐孝幸市
右訴訟代理人弁護士
西村眞悟
同
富田康正
亡村田武治訴訟承継人
被告
村田富子
被告
山下逸雄
右両名訴訟代理人弁護士
三瀬顯
同
下村末治
同
野間督司
同
近藤正昭
同
林一弘
被告村田訴訟代理人兼同山下訴訟復代理人弁護士
下村泰
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは連帯して、原告に対し金一一六八万六〇四〇円及びこれに対する昭和六二年二月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1(当事者)
(一) 亡村田武治(以下「武治」という)は、太栄金属工業所(以下「太栄金属」という)の名称で建築用丸棒等の製造販売に従事していた。
(二) 被告山下逸雄(以下「被告山下」という)は、武治の被雇傭者で、太栄金属の製鋼部長である。
2(雇傭契約)
(一) 原告は、昭和四三年六月以来、太栄金属こと武治に雇傭され、建築用丸棒を製造するための鋳型(以下「本件鋳型」という)の修理(以下「本件作業」という)に携わってきた。
(二) 原告の賃金は出来高払で、本件鋳型一本あたり、研磨修理が二〇〇〇円、溶接修理が三二〇〇円であり、修理した本数に応じて毎月支払われ、昭和五八年一二月から同五九年七月までの平均月額賃金は三七万二五四〇円であった。
(三) 原告と武治間の契約(以下「本件契約」という)は、以下の事実により、雇傭契約であると認められる。
(1) 原告は、太栄金属から本件作業を請け負っていた木原組の従業員として右作業に従事していたが、木原組が昭和四三年春、多忙を理由に右契約を解約し鋳型修理機械を引き上げたため、武治は原告に、右機械を武治が購入するので太栄金属で本件鋳型の修理工として働くよう依頼し、原告はそれを承諾した。
その際武治は、従前従業員に定額の報酬で本件作業をさせていたところ能率が悪かったため、報酬は出来高払とする旨提案し、原告はそれを了解した。
(2) 原告が就労すべき場所は太栄金属の敷地内の一定場所に定まっていた。また、鋳型修理に要する機械類等の設備はすべて太栄金属所有のものであり、溶接に必要な電気代、酸素代は太栄金属が負担した。
(3) 太栄金属には、一〇トンの鉄を溶かす炉が二つあり、一〇トンの溶けた鉄を同時に四〇本の鋳型に流しこむので、常時八〇本の修理の完了した鋳型が必要とされた。太栄金属の業務の中心は、丸棒の生産であり、右生産に必要な本件鋳型を修理することは、太栄金属にとって重要な業務であった。
(4) 原告は、昭和四三年から同五九年夏まで継続して、一か月のうち二日程度しか休まず、早朝から午後七時ころまで本件作業に従事した。その間太栄金属で本件作業を行っていたのは原告一人であり、原告は同時に他の仕事に従事したことはない。
(5) 原告は、昭和五六年ころ大阪府河内長野市の現住居に転居したが、通勤が不便なため、それ以降太栄金属の敷地内にある社宅で寝泊まりしていた。右社宅の電気、ガス代は太栄金属が負担していた。
(6) 原告は他の従業員と親しく付き合い、太栄金属の旅行等に参加していた。
(7) 原告は、昭和五八年一〇月一六日鋳型修理中に左手中指を負傷し、阿倍野労働基準監督署から労働者と認定され右負傷について休業補償を受けた。
3(武治の就労拒否)
(一) 武治は太栄金属の各事務につき、同人の妻である専務の被告村田富子(以下「被告富子」という)及び被告山下に任せていたので、両名の行った以下の行為についての法的効果は武治に及ぶ。
(二) 被告山下は、太栄金属の製鋼部長として、武治から太栄金属の業務処理全般につき任せられていたところ、右権限に基づき、昭和五九年八月末、部下の松田らに命じて、原告が修理中の鋳型及び修理するために置かれていた鋳型約一二〇〇本(六〇〇トン)を、原告に無断で同人の仕事場から持ち出し原告に修理させないようにした。
(三) 被告富子は、太栄金属の専務として、武治から太栄金属の業務処理全般につき任せられていたところ、右権限に基づき、同年九月一五日原告に対し、原告が武治の従業員の小脇と松元を共産党の事務所に連れて行って太栄金属の内情を漏らし、武治を困らせたと非難し、解雇の意思表示をした。しかし原告は右行為をしておらず、右は解雇権の濫用として無効である。
(四) 原告は、修理すべき鋳型を取り上げられ解雇を通告されたので、四、五日河内長野市の自宅に戻っていると、その間被告山下は前記権限に基づき、右松田らに命じて、前記原告が使用していた社宅を、その中に保管されていたテレビ、冷蔵庫、掃除機、洋服ダンス等の原告の私物とともに撤去破棄した。
(五) 以上のように、原告は武治の責に帰すべき事由により、太栄金属において就労することができず現在に至っているので、原告は、民法五三六条二項に基づき、昭和五九年九月以降現在に至るまで、武治に対する賃金請求権を有する。
4(被告山下の不法行為及び武治の使用者責任)
(一) 被告山下は武治に雇傭され、同人の信任を得て製鋼部長になったが、武治が従業員に支払う給料から毎回小額づつの金銭を抜き取り、また、武治所有の鉄のスクラップを他に勝手に売却するなどの不正行為をしていた。同被告は、原告が右不正行為を知っていたため、それを隠すため原告を太栄金属から追い出そうとした。
(二) 被告山下は右動機に基づき、前記3(二)のとおり部下に指示して、原告の仕事場から原告が修理しようとする鋳型を全部運び出させ、同3(三)のとおり、武治に、原告が従業員を共産党の事務所に連れて行って太栄金属の内情を漏らしたとの虚偽の事実を告げて、武治から右事実を聞いた被告富子をして、原告を解雇させるようしむけるとともに、同3(四)のとおり、原告が寝泊まりしていた社宅を撤去して家財道具とともに運び去らせて、原告が太栄金属で仕事をすることを不可能にした。
(三) そのため、原告は武治から報酬を受け取ることができず、その損害額は昭和五九年九月から同六一年一〇月分までで九六八万六〇四〇円であり、更に原告は右各事実により、計り知れない精神的苦痛を受けたから、それに対する慰藉料は二〇〇万円が相当である。
5(債務の承継)
武治は昭和六二年四月二日死亡し、相続人間で協議した結果、武治の原告に対する債務については、右相続人の一人である被告富子が免責的に引き受けた。原告は右債務引受に同意した。
6(結論)
よって、原告は、被告富子に対し、雇傭契約上の賃金請求権、又は使用者責任(民法七一五条)に基づく損害賠償請求権により、昭和五九年九月から同六一年一〇月分までの賃金又は賃金相当損害金として九六八万六〇四〇円及び使用者責任に基づく損害賠償請求権により慰藉料として二〇〇万円の合計一一六八万六〇四〇円、被告山下に対し、不法行為に基づく損害賠償請求権により一一六八万六〇四〇円、並びに右各金員に対する弁済期の後(訴状送達の翌日)である昭和六二年二月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 同2(一)の事実のうち、原告主張の原告と武治との取引関係については認めるが、それが雇傭契約であることは否認する。
(二) 同(二)の事実のうち、原告が賃金を受領していたことは否認し、平均月額報酬については知らず、その余は認める。原告は請負契約の報酬を受領していたものである。
(三) 同(三)冒頭の主張は争う。後述のとおり、本件契約は請負契約である。
3(一) 同3(一)の事実のうち、被告富子が経理一切を処理し、被告山下が業務一切を監督していたことは認める。
(二) 同(二)ないし(四)の事実は否認する。
(三) 同(五)は争う。
(四) 原告が雇傭契約による労働者であるとしても、同人は明治四一年生まれの高齢であり、昭和五九年八月以降理由も述べず太栄金属に来なくなり、労務の提供がないから、賃金支払義務はない。
4 同4の事実は否認する。なお、被告山下が太栄金属の一社員として活動したことに対しては、同被告が個人として責任を負う理由はない。
5 同5の事実は認める。
6 本件契約は、以下の事実により、請負契約であると認められる。
(一) 武治は昭和四三年以前、太栄金属における本件鋳型の修理を木原組に請け負わせており、原告は木原組の従業員として右修理に従事していたところ、武治は同年六月以降右修理を原告に請け負わせた。右請負の報酬は出来高払制で、修理量については時期によって差があった。
(二) 原告は、川上組の名称を用いて、毎月二〇日締めで納品書を添付した請求書を提出し、翌一五日右報酬の支払を受けた。なお、社員の給料日は毎月末日であった。
(三) 太栄金属の従業員の場合は、従業員名簿に記載があり、出勤簿が存在し、給与やボーナスが支給された。原告は従業員ではないから、従業員名簿には記載がなく、出勤簿が存在せず、給与やボーナスは支給されなかった。
(四) 太栄金属の従業員の給料からは、所得税の源泉徴収や社会保険等の控除がなされていたが、原告の報酬からは、それらは一切なされていなかった。
(五) 太栄金属の従業員は、週六日間、勤務時間の定めに従い働いていたが、原告の場合は、自己の判断により平均して週四日間位仕事の量に応じて作業に従事しており、勤務時間の定めはなかった。
(六) 原告の労災事故については、太栄金属の構内における請負業者の事故として労災補償金が支給されたものである。
第三証拠(略)
理由
一 武治は太栄金属の名称で建築用丸棒等の製造販売に従事していたこと、被告山下は武治の被雇傭者で、太栄金属の製鋼部長であること、原告は昭和四三年六月以来、太栄金属こと武治との契約に基づき建築用丸棒製造のための鋳型の修理に携わってきたこと、右修理に対する対価は出来高払で、本件鋳型一本あたり、研磨修理が二〇〇〇円、溶接修理が三二〇〇円であり、修理した本数に応じて毎月支払われていたことは当事者間に争いがない。
二 本件契約の法的性質について検討する。
1 (証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する原告本人尋問の結果は採用しない。
(一) 太栄金属は木原組に、溶接又は研磨の方法による本件鋳型の修理を請け負わせ、原告は木原組の従業員として右修理作業に従事していたところ、木原組は他の仕事をするため、太栄金属との請負契約を解約し、右修理に必要な機械を運び出した。
(二) 武治は昭和四三年六月ころ原告に、当方で必要な機械類を購入するので、本件鋳型の修理作業に従事するよう依頼し、原告はこれを承諾した。武治は従前に定額の報酬で本件作業をさせたところ能率が悪かったので、報酬については出来高払にすると提案し、原告は了承した。当初本件鋳型一本につき、研磨が四〇〇円、溶接が一二〇〇円であったが、右単価は二度値上げされ、昭和四五年ころ以降研磨が二〇〇〇円、溶接が三二〇〇円になった。
(三) 太栄金属では、鉄を溶かして鋳型に流し込む方法により建築用丸棒等の製造を業としており、右製造過程において使用される本件鋳型は使用頻度に応じて修理が必要で、修理を要する鋳型は恒常的に存在し、本件作業は太栄金属の事業にとって必要不可欠なもので、本件作業がなされないと丸棒の製造に支障がでるものであった。
(四) 原告は、太栄金属の工場責任者が修理を要すると判断し、同社の従業員が太栄金属の敷地内にある原告の作業場に運び込んだ鋳型について、溶接と研磨のいずれの方法が適当か選択して、本件作業を行っていた。原告の仕事量は運びこまれた本件鋳型の数量によって決まるが、仕事が絶えることはなく、本件鋳型の修理期間につき太栄金属から指示を受けることもあった。
(五) 原告の勤務時間は決まっていなかったが、早朝から午後五、六時ころまで本件作業を行っており、月に二、三日程度仕事の合間に自分で調整して休日をとっていた。太栄金属は、本件鋳型の修理に要する機械類等の設備並びに溶接用の電気及び酸素代をすべて負担していた。昭和四三年以降太栄金属では原告のみが本件作業に従事しており、原告は本件作業により生計を営み、その間他の仕事に従事したことはなかった。
(六) 原告の仕事が忙しいときは、被告山下の指示で他の従業員が原告の応援に行ったことがあり、また、原告が昭和五八年一〇月本件作業中に左手中指を負傷したときは、太栄金属の従業員が本件作業を手伝い、原告から報酬を得たことがあったが、それ以外は原告が本件作業に従事しており、他の者に任せたことはなかった。
(七) 原告は、妻の旧姓が河上であることから、河上組の名称を用いて、毎月二〇日締めで納品書を添付した請求書を提出し、翌一五日右報酬の支払を受けた。なお、太栄金属の従業員の給料日は毎月末日であった。原告は太栄金属の従業員名簿に従業員として記載されておらず、原告には、従業員に対し毎年夏冬に支給されるボーナスが支給されなかった。
(八) 太栄金属の従業員の給料からは、所得税の源泉徴収や社会保険等の控除がなされていたが、原告の報酬からは、それらは一切なされていなかった。
2(一) 原告と武治間の実質的な使用従属関係が存在する場合には、本件契約を労働契約であると解するのが相当であるところ、右実質的な使用従属関係の存否の判断にあたっては、仕事の依頼に対する拒否の自由の有無、業務遂行上の指揮監督の有無、勤務場所及び勤務時間の指定の有無、労務提供の代替性の有無、事業者性の有無、専属性の程度等の諸要素を総合的に検討することが必要である。
(二) 右認定事実に基づき右諸要素につき検討すると、原告は、太栄金属の工場責任者が修理を要すると判断して原告の作業場に運び込んだ本件鋳型を修理するものであり、その修理を必要とする鋳型は恒常的に存在し、修理期間を指定されることもあり、原告一人が本件作業に従事していたことからして、原告には仕事の依頼に対する拒否の自由はなかったといえること、原告に対して勤務時間の指定はされていなかったが、仕事量からして原告は毎日早朝から夕方まで右作業に従事していたこと、原告の就労場所は定まっていたこと、本件作業は太栄金属の事業にとって必要不可欠な作業であり、本件作業がなされないと丸棒の製造に支障がでること、負傷したとき以外は、原告は本件作業を他の者に任せたことはなかったこと、原告は労務を提供するだけで、本件鋳型の修理に要する設備及び電気代等はすべて太栄金属の負担であり、原告は本件作業により生計を営み、その間他の仕事に従事したことはなく、原告は自己の計算と危険により事業を営む者とはいえないこと、原告は一六年余専属的に右作業に従事してきたこと、報酬は出来高払とされたが、それは能率向上のためであり、報酬額が一般の従業員より高額とは認められず、労務と報酬との対償性が低いとはいえないことからして、原告と武治間には実質的な使用従属関係が存在し、本件契約は労働契約であると認定するのが相当である。
なお、右認定の1(七)、(八)の事実は、原告が提供した労務の内容に関するものではなく、それ以外の書類上や手続上等の事柄に関するもので、いわば形式面に関する事項であり、右形式面において労働者と扱われていないことは使用従属関係を否定する重要な要素ではないと解されるので、右事実は、前記説示のとおり、原告と武治間に実質的な使用従属関係が存在し、本件契約は労働契約であるとの認定判断を左右するものではない。
三 武治の就労拒否について検討する。
1 (証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 武治は原告の作業場付近を駐車場にする目的で本件鋳型を移動することを決定し、被告山下は右決定に基づき昭和五九年八月後半ころ、部下の松田に命じて、修理予定の本件鋳型全部を原告の作業場から太栄金属の敷地のうち西側の工場内に移動させたが、それについては原告の了解を得ていなかった。
(二) 原告は昭和五九年九月ころから太栄金属に出社せず、以後本件作業に従事していない。
(三) 原告は昭和五六年大阪府河内長野市に転居し、そのころから通勤の便宜のため太栄金属の敷地内に存在した武治所有にかかるプレハブ住居に居住していたところ、被告山下は、武治の右決定に基づき、原告が出社しなくなった後である昭和五九年九月ないし一〇月ころ、右プレハブ住居を撤去した。同被告は、原告がその中に置いてあったテレビ、掃除機、洋服ダンス等の家財道具を一旦保管したものの、それらは使い古した品物であり、原告と連絡がとれなかったため保管に困り、その後三か月程して不用品として処分したが、右各行為について原告の同意を得ていなかった。
2 原告は被告富子から解雇された旨主張する。
(一) 原告本人尋問の結果中には、被告富子は昭和五九年九月一五日、原告が太栄金属の従業員を共産党の事務所に連れて行ったことを非難し、原告に対し「悪いことをするならいらんよ」と述べたとの部分がある。他方同尋問の結果中には、その場で原告は右事実を否定し、被告富子は、被告山下が武治に右事実を伝えたと述べたが、その場に呼ばれた被告山下は右伝達の事実を否定し、原告は右自己の行動に関する証人宅を訪れ、同証人を太栄金属に同行しようと考えたが、被告山下が不在のため、同社に赴かず大阪府河内長野市の自宅に戻ったとの部分もある。なお、被告富子が原告に対し解雇する旨の明確な意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はない。
(二) (証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 太栄金属の経営者の武治は、他の従業員と共に現場作業に従事しており、太栄金属の経理事務は武治の妻の被告富子が総務部長の岡田と共に管理しており、現場での指揮監督は製鋼部長の被告山下が行っていて、従業員の採用や解雇、取引関係等に関する同被告の意見は、太栄金属において十分尊重された。また、被告富子はホストクラブを経営しており、毎日午後太栄金属に立ち寄る程度で、常駐してはいなかった。
(2) 原告は、昭和五九年夏に体調を崩し、同年五月から七月までの各二〇日締めの月額報酬は約二四万円ないし三一万円であるが、同年八月二〇日締めのそれは七万六四〇〇円に過ぎなかった。
(3) 原告が出社しなくなった以後、原告は武治や太栄金属の管理職に対し、就労を求めたことや解雇に対する不服を述べたことはなかった。原告はその後、被告富子方を訪れているが、それは原告の前記左手中指の負傷についての労災申請に協力を求めるためであった。
(4) 本件鋳型の修理は恒常的に必要とされ、太栄金属の事業にとって必要不可欠のものであり、本件作業に従事していたのは原告一人であったことは前述のとおりであり、本件作業が専門的な技術を要するものであって、原告が出社しなくなった後、太栄金属の従業員一、二名が右作業員に従事していた。
(三) 前記原告本人尋問の結果の内容を前提としても、被告富子の「悪いことをするならいらんよ」という発言は、就労を拒否する旨の発言ではなく、原告を非難したにすぎないものと解する余地があるし、また、就労拒否の発言と解したとしても、証人として呼ばれた被告山下が武治に伝達したことを否定し、原告が従業員を共産党の事務所に連れて行った証拠はないのであり、右認定の太栄金属における被告山下の地位の重要性及び被告富子の役割からしても、被告富子が就労拒否の発言を維持したものとは認め難い。
(四) 右(二)(4)認定のとおり原告が太栄金属の業務において不可欠な本件作業に従事していたものであることからして、被告富子が不確実なうわさに基づいて原告を解雇するとは考え難いこと、右(二)(2)、(3)認定の事実並びに被告富子の解雇の意思表示を否定する証人岡田勝美の証言及び被告山下本人尋問の結果に照らし、右解雇の事実を認めることはできない。
3 武治は、原告の同意を得ずに、本件鋳型を原告の作業場から西側の工場内へ移動したことは前記1で認定したとおりであるが、そのことにより、原告が本件作業を行うことが不可能又は困難となったことを認めるに足りる証拠はなく、前述のとおり本件作業は太栄金属の業務にとって不可欠であり、原告が出社しなくなった後は他の従業員が右作業員に従事したことからして、作業場所は移動したものの本件作業を行うことは可能であり、作業の難易度に特段の変化はなかったものと推認できる。
また、原告の同意を得ずに太栄金属内にある原告の住居が撤去され、その中に置かれていた原告の家財道具が処分されたことは前認定のとおりであるが、そのため原告が太栄金属で仕事をすることが不可能となったことを認めるに足りる証拠はない。
4 以上検討のとおり、右1の事実は認められるものの、武治ないしは太栄金属の管理職が原告の就労を拒否したこと、又は原告が太栄金属で仕事をすることが不可能となったとは認められないから、右事実を前提とする原告の賃金及び賃金相当損害金の請求は理由がない。
四 原告の慰籍料請求について検討する。
1 本件鋳型の移動により本件作業が不可能又は困難になったこと、右移動が本件契約に違反することは認められないから、右移動が債務不履行又は不法行為に該当するとはいえず、右事実による原告の慰籍料請求は失当である。
2 解雇の事実が認められないことは前述のとおりである。
3 原告に無断で、原告の住居が撤去され、原告の家財道具が処分されたことは前記三1で認定のとおりであり、右行為を正当化する理由はなく不法行為に該当するが、このように財産権を侵害されたことによる慰籍料請求は、被害者にとって右財産権が特別の主観的、精神的価値を有する場合に限り認められると解されるところ、原告には河内長野市に自宅があり、撤去された住居は太栄金属で働くことにより使用していた場所であって、原告が出社しなくなった後右撤去及び処分がなされていることは前認定のとおりであり、原告にとって特別の主観的、精神的価値を有する財産権が侵害されたことを認めるに足りる証拠はないから、右不法行為に基づく慰籍料請求は失当である。
五 よって、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 土屋哲夫)